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きのうは、昨年と同じく《草とten shoes》のクリスマスライブでした。お世話になっている山田稔明さんのおかげで、2年連続でこんな機会をいただき、あたたかなたくさんのお客さまと仲間に囲まれ、巣巣が等々力村の教会のような素晴らしきクリスマスイブでした。

昨年は持ち曲が2曲で、山田さんに提供してもらった「冬の日の幻」と草tenメンバーの五十嵐さんが作った「夏はまっしろ」をくるひもくるひも練習して、やっとやっと発表できる形にもっていきましたが、MCは舞台慣れしている五十嵐さん任せで、本番の演奏のむずかしさも肌で実感しました。でも深いところでは、クリスマスの魔法が降っていた聖夜のおかげか心に届く曲が演奏できたのでした!(自画自賛!)

2017年は2ヶ月に1度のライブで持ち曲も増えステージで鍛えられた私たちは、今年はなんと7曲も演奏して、MCもできるようになりました。(えっへん!)マイクに近づきすぎて歌っている途中で歯が当たったり、音を外してしまったりはありましたが、「間違えちゃったけどいま楽しい!」という気持ちの方が何倍も大きくて、途中なんども幸福感で胸がいっぱいになりました。誰かと一緒に音を重ねていると、音に乗せて気持ちまでもが伝わってきて、ありがたくも受け止めてくれる観客のみなさまと私たちがどんどん繋がっていけるような一体感が優しくて心地よくてしあわせで、涙が出そうになる瞬間が何度かありました。

「クリスマスの魔法」はあると思いますか?
わたしはこの数年強く強くそれを感じます。

でもその魔法は、一瞬で夢が叶うとかではなくて、「クリスマスだから今日はおしゃれをして口紅を塗ろう」と自分に与えるギフトだったり、あの人が喜ぶ顔がみたくて贈りものを探す時間だったり、急ぐ時間のなかで歩をゆるめてクリスマスの空気を胸いっぱいに吸い込みたくなったり、いつもと違う道を歩いてみたり、サンタの帽子をかぶらされた猫をみて微笑ましく思ったり、食卓をきれいに整えてクリスマスケーキを用意したり。
その魔法は、いつもよりポジティブでハッピーな時間を過ごそうとするみんなの波動みたいなものが粒子になって、そこらじゅうに舞って伝染しているということなんじゃないかな?と思うのです。

優しくされると、じぶんも誰かに優しくしたくなる。
クリスマスは「ひとりがハッピーなバトンを渡しつづけたら世界中がハッピーになる」という人間の善なる力の可能性を教えてくれる機会。
「想像してごらん。みんながただ平和に生きているって。」

“Imagine”

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one
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イギリスで買い付けたものを段ボールから出して、
ひとつひとつ厳重なラッピングから剥がして手にしているうちに、
心がサワサワしてきた。

ふと、私は「molnでは、ものを売っているんじゃないなぁ」と思った。
ものには、命はないけれど、ものも気配みたいなものを宿している。
ものが持つメッセージ性、というよりもっと曖昧模糊とした気配。
脚色を加えなくては、美しく整った物語にはならないけれど、
物語になるまえの原石みたいな予感。
それは、人と人が出会い、恋が始まるときに感じる予感に似ていて、
確かなことはまだ何もなくて、ただお互い感じる引力だけが確かな存在感。

私がお店をやっているのは、ものとひとを繋げるため。
ものともの、人と人、ものと人の橋渡しのために、私はここにいるのかな、とおもう。

もの、がなんとなく出会いたい人。
人が、どうしても出会いたいもの。

出会いは化学反応で、そこから動き始まる新しい展開を誰もが待ち望んでいる。
だから私はものと共にここにいて、誰かを待っている。

ところで、もの言わぬものの心は、あまりにも可愛いのです。
もの言えぬ恥ずかしがり屋のものの小さな声に、ぜひとも一度耳をすませてみてください。

大きな声は黙っていても聞こえてくるけれど、小さな声はこちらから近づかなくては、ちゃんと聞こえないから。
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わたしの家には、ミルクという名前の猫がいます。

ミルクが我が家にきたのは、2015年6月。ちょうどその年の頭に、鎌倉の山あいの小さな一軒家に越し、リノベーションしてるなかで、具体的な予定は何もないけれど、なんとなく猫と暮らすことを設定して、天井をぶち抜きハリを出したり、おトイレの場所を想像したりしていました。

そんな妄想のきっかけは、懇意にしているミュージシャンの山田稔明さんのポチの存在がありました。
山田さんが2014年に「ひなたのねこ」という写真絵本をミルブックスさんから出版し、その巡回展を秋にmolnでも予定していたのですが、信じられないことにその年の夏、ポチが帰らぬ猫さんになってしまいました。

ポチの可愛さをただただ愛でる展示だったはずの「ひなたのねこ」展はとても切なく、でもその眼差しは生死を超えて深くあたたかくて、わたしはお店番をしながら、何度も密かに涙を流してしまったのです。

その体験を通して、わたしにとっての猫はただの猫ではなく、尊くて誇り高い生き物の象徴のように心に宿り始めました。

仲良くしているすみっこサロンのちもちゃんが、その当時向ヶ丘遊園に住んでいて、春先の発情期を経て、仔猫が町に溢れる5月に、
「あやくん、仔猫飼ってみない?」
と声をかけてくれました。

聞けば、ちもちゃんの住むご近所は、東京に似合わずたくさんの野良猫さんがいて、地域の人たちがみんなで協力してお世話をしている地域猫として、幸せに暮らしているようすなのでした。

ちもちゃんのお家にも、“きなこ“という猫さんがしょっちゅう出入りしていて、妊婦のちもちゃんを心配しているかのような素振りは、もはや猫さんを通り越した親戚のようで、その話をきいていると楽しくて、いつも驚かされていました。

わたしと夫は、もう半分以上猫と暮らすことを心に決めて、ある休日に向ヶ丘遊園に向かいました。
途中、乗り換え駅の藤沢駅の「こぐま」で牛乳ラーメンをたべているあいだも、2cmくらい足元が宙に浮いている気持ちでした。

向ヶ丘遊園駅からすこし歩くと、猫マスターのちもちゃんは、あちこちに仔猫ちゃんがいる場所を把握していて、
シーと人差し指を口にあてて、私たちにその愛おしい仔猫とお母さんのいる住処を教えてくれました。

ちもちゃんの当時住んでいたエリアは、昔ながらの平屋が残っていて、ご近所の東北なまりのおばあちゃんが、その日の朝、私たちがくることを知り、スペシャルな技術を駆使し、仔猫ちゃんたちを保護してくれていたのでした。

おばあちゃんはすごい東北なまりで90パーセントくらい何をいっているのかわからなかったけれど、頂いたフルーツゼリーは甘く美味しく、仔猫やお母さんたちのごはんをお世話しながら、もう何回も出産を繰り返す仔猫のママさんの心配をして、避妊をするためにママさんも保護していました。

おばあちゃんのいえに保護された仔猫は4匹。
ジョーカーみたいな右左対称模様の2匹と、黒白ちゃん。
そして3匹が大騒ぎのなか、お構いなしに堂々と眠っているハチワレちゃん。

わたしと夫はひとめみて、このハチワレちゃんを気に入ってしまいました。

あともう1匹とすすめられたけれど、申し訳ないことに、猫と暮らしたことがない私たちにはいきなり多頭飼いの勇気がなく、この子だけと心に決めたのでした。
(その後、黒白ちゃんはちもちゃんの親戚のおうちに、ジョーカーちゃんは地域猫の活動をしている方の元に旅立ったそうです。)

もう一人平屋の住人に、Kさんというマダムがいました。その方のお家には10匹くらいの猫さん、そして家には入ってこない通い猫さんも無数にいて、まさに猫おばさま!なマダムなのでした。

猫さんたちは、障害があったり、まがりなりにも美形な猫さんとはいえない、簡単に飼い主がみつからない猫さんたちを積極的に家族にしているそうなのでした。

しかし猫さんたちの性格は信じられないくらい人なつっこく、私たちの後ろをずーっと付いて回るような純粋さをまっすぐにもった猫さんたちで、私と夫は猫さんの固定概念を完全にひっくり返されたのでした。

夫にはドンキという名前の、顔がやっさんみたいだけど、従順で優しい猫さんがずっとひっついて、指を舐められていました。笑笑

Kさんは結婚相談所の仲人さんのお仕事をしていて、占い師のごとく、「あなた(わたし)が男ね!」といっしゅん顔相をみて言われたのも衝撃的でした!

その帰りみち、私たちはその猫を“ミルク”と名付けました。お昼ごはんの、牛乳ラーメンにちなんで。

数日後に、ちもちゃんとひーさん(ちもちゃんの旦那さま)の車に乗せられ、途中ちいさなうんちをしたミルクが我が家にやってきました。

怯えたイカ耳で我が家に着くやいなやソファの下に籠城し、すこし近づくと威嚇のちいさなシャーをしつつ、あたたかさに包まれると、なにもかもに満たされたように喉をならしながら眠り、私たちの腕のなかでちいさな夢を見るミルクは、きたその日に、私たちの宝ものになりました。